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映画『平場の月』

2025年秋 全国東宝系ロードショー

堺雅人 井川遥 原作:朝倉かすみ『平場の月』(光文社刊) 監督:土井裕泰(『花束みたいな恋をした』『罪の声』『映画ビリギャル』) 脚本:向井康介(『ある男』)

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INTRODUCTION イントロダクション
2018年に刊行され、発行部数18万部を突破した朝倉かすみによる「平場の月」(光文社文庫)。
男女の心の機微を繊細に描き、各紙書評にて絶賛され、第32回山本周五郎賞を受賞し、第161回直木賞にノミネートされました。
35年振りに再会した中学時代の同級生同士。今やお互い独り身となり、様々な人生経験を積んだ二人が意気投合し、
中学生以来、離れていた35年のときを埋め心を通わせていくストーリーは、
「こんな“大人の恋愛小説”読んだことがない!」と刊行当時から多くの話題を呼びました。
そのベストセラー小説が満を持して映画となります。

主人公・青砥健将を演じるのは、堺雅人。映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』(2017年、山崎貴監督)以来8年ぶりの映画主演となります。
その青砥が中学生時代に想いを寄せ、35年振りに再会する須藤葉子を演じるのは井川遥。

小さなアパートの二階の窓辺。
寄りかかって夜空の月を見上げている須藤。
その様子を、外から眺める青砥。
「お前、あのとき、何考えてたの?」
「・・・夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね、ちょっと」
50歳にして初めて、自然に惹かれ合うようになった二人。やがて未来のことも話すようになるのだが・・・。

監督を務めるのは、『花束みたいな恋をした』(2021年)の土井裕泰。
脚本は『ある男』(2022年)で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した向井康介。
原作では断片的な回想として描かれていた中学時代の初恋の記憶を、映画ではさらに掘り下げながら、
35年越しのラブストーリーを繊細に綴ります。
『花束みたいな恋をした』で等身大の若者の出会い、恋愛から別れまでを丁寧に表現した土井監督が、
今作では15歳の瑞々しい初恋と大人のリアルな恋愛を描き出します。

原作発表時には、朝霞市、新座市、志木市など埼玉県内の実在の地名や店舗が多数登場し、話題となりましたが、
今回の映画でも、同市内を中心にロケーションを敢行。リアルな恋物語を色彩豊かに彩ります。
2025年秋、
堺雅人、井川遥の二人が紡ぐ
リアルで切ないラブストーリーが
誕生いたします。
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COMMENT コメント
雅人(青砥健将)
青砥役のオファーをいただき、原作を読みましたが、原作小説の世界が素晴らしく、豊かなので、ぐいぐいと引き込まれ、何度も何度も読み返しました。今回、原作に登場する場所で撮影し、いち原作ファンとしては聖地巡りのような、本当に夢のような日々が始まったなと感じています。
僕が演じる青砥は井川さん演じる須藤あっての青砥だと思っています。撮影が始まり、役としての井川さんと出会って、須藤の横にずっといたいなという気持ちが強くなりました。また、土井監督は大学の演劇研究会の先輩にあたり、ずっとご一緒したかったので、今回念願叶ってとなります。土井監督は物腰が柔らかく、丁寧に説明してくださり、役者が伸び伸びと動けるようにしてくださる印象です。これから撮影が続きますので、監督のおっしゃった通りに動きたいと思っています。
川遥(須藤葉子)
須藤は青砥と再会したことによって、そこから慎ましやかだけれども気持ちが少しずつ膨らんでいく。この2人を応援したくなりました。私自身、この年齢になったからこそわかる気持ちが原作の中に溢れていて、温かさや切なさも同時にあるこの本を愛おしく感じました。
今回、私が演じる須藤は自分の弱さを見せまい、寄り掛かることをよしとしない覚悟を持って生きている人です。須藤の芯の強さ、意地らしさ、今ささやかな幸せを噛みしめている感じ、それら彼女の持っているものを大切に演じたいと思いました。堺さんは懐が深く、温かくて包み込んでくれるような方です。年齢を重ねてまたご一緒できること楽しみにしていました。土井監督とは今回2作目になりますが、大変嬉しく思っています。その役の持っているもの、滲み出てくるものなど丁寧に教えてくださるので、監督についていきたいと思います。
原作者:倉かすみ
「平場の月」(光文社文庫)著:朝倉 かすみ
「平場の月」はわたしにとって初めての映像化作品になります。
もちろん映像化というものへの関心はありました。それは著作が異なるメディアで展開されるのを観てみたい、という圧倒的なミーハー魂と、わたしがひとりで書いたものを、わたしではない人たちがチームを組んで表現したらどんなふうになるのだろう、という純然たる好奇心の混ざり合ったものでした。
ミーハー魂は、「ピッタリ!」のキャストやスタッフを妄想させ、好奇心は、わたしが紙やモニタなどの平面に文字で描いたシーンが立体となったときの驚きや喜びを想像させました。シーンといっても具体的なものではなく、わたしが書くときに大事にしている三つ(ディティールと、実感と、イノセンス)が感じられるかどうかがポイントでした。
そんな我儘すぎるあれこれが、どんどん「ほんとう」に—それはもう思った以上に「ほんとう」に—なっていく不思議を、今、味わっている最中です。